lunes, 11 de septiembre de 2017

父娘スペインを歩く~その3~1986年の夏にラ・アルベルカ滞在した方の旅行記


oteさんのサイトからです、その1その2の続きです。

少し前に、今年の春に、スペインの最も美しい村巡りの旅で
ミランダ・デル・カスタニャルモガラスラ・アルベルカ
電撃訪問した方のブログを転載しましたが、今度は、
1986年に父娘でスペイン旅行をされた方の記事です。
検索で見つけて、転載の了解を快諾いただきましたので
数回にわたる連載の、今回は第3回めです。



父娘スペインを歩く



16日(土) ラ・アルベルカ
 遅い朝食を、今日は何があるのだろうと話しながら、ホテルのレストランで食べる。6時から闘牛がある。それを見るために滞在を一日延ばしたのだ。その他は何があるのだろうと役場で写してきた時間表を見るが、よく分からない。もうどうでもいいや。村の散歩でもしようと決めて、また村へ出る。

 一軒ずつ玄関やベランダ、ゼラニウムの咲き加減を確かめながら、スケッチの場所をさがして歩いていると広場へ出た。ここでは闘牛のための準備が進んでいた。どこかのバルの中から笛と太鼓の音、踊りのカスタネットの音もする。なにかちょっと違っている。なにかおかしいと音のする方へ誘われていくと、教会へ出た。教会の前まで来ると、小さいがまた一つ舞台が設えてあって、ここのは幕の用意までしてある。ああそうだ、これも天本さんの本で読んだ。劇だ劇が始まるのだ。舞台の前で待っていると、次第に見物人が増えて人々でひしめくようになって、劇が始まった。

 牧人が出てきて村人が出てくる。やりとりがあってそのうちに場面が変わり、黒ずくめの衣装で悪魔が出てきて村人たちを脅かす。舞台は悪魔の世界になって七人のかわいい小悪魔も出てきてのし歩き観客を威嚇する。悪魔が呪いの長いセリフを言っていると、賛美歌のような唄が遠く切れ切れに聞こえてきて、彼の怒りは頂点に達し舞台にセットされた火薬に点火。物凄い大音響と黒煙で舞台も悪魔も何もかも見えなくなるし、観客は耳をつんざく爆音と煙から逃げ惑う。その後マリア(だと思う)が七人のかわいい天使を伴って現われ、剣をとると悪魔はやっつけられて退散、劇は終わる。多分いつも通りの定型劇なんだろうけど、みんなはその「いつも」を楽しんでいる。

 爆発音の所為で、変になった耳のまま、「なんて馬鹿馬鹿しい劇やろ。せやけど、この馬鹿馬鹿しさが面白い。」と2人で喜び合った。

 広場へ取って返すと、カスタネットの音。何だろうと思っていると、昨夜のプロの踊り手たちと伴奏者が、今日は地べたをステージにしてやっている。一踊りするとまた踊りながら道を行き、少し広くなっているところに止まってそこでまた一踊りという具合に村の中を練り歩く。村人はビーノだハムだお菓子だと振る舞う。一息入れるとまた踊りながら跳ねながら移動する。何とも凄い、身体がバネで出来ているかのような人たちだ。子どもたちと一緒にぼくらもついて行く。

 小さな村の「聖母被昇天祭(アスンシオン)」の興奮は、こうして闘牛の頃には最高潮に達するのだ。ここの祭は長期に渡るが昼食の2時ごろから6時ころまで重要な行事はない。多分スペインの祭はみんなこうなんだろう。昼寝のためである。当然ぼくらも昼食とシエスタにホテルへ帰る。

las bailaoras, y toro a la plaza mayor

 6時ごろ広場に出かけると、丸太と鉄の杭で締め切られた広場は即席の闘牛場になっていて、既にみんな思い思いの所に陣取っている。日が当たって暑い舞台の上もいっぱいの人だし、広場に面した窓もバルコニーももぐりこむ余地のないほど人でひしめいている。日向で、マドリの大闘牛場でなら一番安そうなところにぼくらも場所をとる。そこしか空いていないのだからしようがない。闘牛場といっても俄作りで、広場を囲む家々の二階のベランダを支えている柱に縄をかけたり、敷石をめくって柵用の柱を立てたりして作ってある。毎年のこととあって手馴れていて、頑丈にできているのは相手が猛牛だからだろう。

 ぼくらの待機しているすぐ横の扉が開けられて、牛が飛び出してきた。牛は小ぶりだった。闘牛の始まりだ。ここの闘牛はマドリなどの大闘牛場とは様子が違っている。場内には血の気の多い男たちがたくさん入ったままなので、定まった手順を踏むわけではない。初めっから混乱していて、参加するのが楽しみらしいのだ。男たちが牛をからかったりかわしたり、スリルを楽しんでいる。牛が小さいということもあるだろうが、誰もがみんな牛と面と向かっている間だけはこの場の主役なのだ。赤やピンクの布(ムレ-タ)を持った者もいるのだが、闘牛の作法に沿っているわけではなく勝手に持ち込んでいるらしい。

 見物席は今やぱんぱんに膨らんでものすごい人だ。ぼくらは人にもまれているうちに中の様子が見えなくなったので、場所を移すことにする。大人しくしていたのでは主役になれない国なのだ。ここでは自分を主張しよう。ぐるっと回って反対側に行くと、日陰の席に僅かの隙間を見つけて突き進み石のベンチの上に立つことが出来た。おお前の人の肩越しに見えた見えた。牛の背中にはもう銛が刺さっていた。マドリでならピカドールだバンディリェーリョだと、マタドールの前にも着飾った人たちが牛と一対一の勝負をするのだが、」なにせそこは田舎の闘牛だ。呼ばれているマタドールは1人しかいないので、村の若い衆が斜め後ろからさっと近寄って一本の銛を打つ。牛は大暴れをしてまた追っかけっこが忙しくなる。逃げ場を失った男たちが逃げ込む所は柵の外なのだが、逃げる時用の綱がいくつも吊革のようにぶら下がっていて、みんなそれに殺到する。内側にぐるっとひと巻きにした人たちが、わっとよじ登るやらロープにつかまるやらするのは滑稽で、外で見ている分には面白い。勢い余って外側に折り重なって落ちてきたりもするかと思えば、牛があまり動かないと見れば外から蹴ったり小突いたりして挑発する。ああかわいそう・・・と思うのはこのたくさんの人たちの中でぼくたちだけだろうか。大人も子どもも男も女も、今日は一つのカタルシスにむかって駆け上っていく感じがする。



 そうして牛との追っかけっこが続いて、マタドール(一応ピンクのムレ-タと刺殺用の剣を持っている)が牛と対峙してフィナーレを迎える。みんなが口笛と歓声ではやし立てる中で儀式が進む。一刺しで牛を殺すのは余程手馴れていても難しいらしく、このときも何度かの失敗の末に1mほどの剣が肩から腹に向かって突き立てられた。・・・が、居合わせた全ての観衆の視線の中で牛はまだ立っていた。命が消えようとする最後の瞬間に牛の瞳は何を見ていたのだろう。雄雄しい牛は前脚からゆっくり崩れていった。

 二頭目は、更に小さめの牛が場内に駆け込んできて始まった。これにはたくさんの男たちばかりでなく活きのいい少年たちも混じっていて、牛との追っかけっこを楽しむのだった。真剣に逃げる、かわすを繰り広げる。小さくても角は鋭いし、引っ掛けられでもしたら、怪我ぐらいでは済まないだろう。この牛は追っかけっこが終わると、後ろから角と首筋に抱き付いてみんなして押さえ込み、堵殺の要領で殺した。

 さて三頭目は本格的に大物で、こればかりは追っかけっこに参加する男たちも少し減った。減りはしたが牛の動きが読め自分の運動神経に自信のある男たちは参加する。そして同じように銛を幾本か打ち込んでから、マタドールが一対一で最後の儀式をする。これで三頭が殺され、広場の水呑場で洗われてどこかに連れ去られると本日のイベントは終わりだ。

 殺された牛たちは台車に無造作に重ねて積まれ、そこに子どもたちが群がり乗り込んだ。トラクターがそれをひいて行く。牛からはまだ血が流れている。その中の誰かが牛の血を自分の頬になすり付け、何か叫んでいる。点々としたたり落ちている血のように生々しい死を死んでいく牛に何の感傷も持たず、さながら凱旋将軍のように意気揚揚と進む彼らは一体どんな神経の持ち主なんだろう。

 闘牛が終わると、同じ広場でまた踊りだ。マドゥルガーダ、アルベルカ-ナ、そして11時からはお定まりH-70の出番で広場はディスコティカになる。ぼくらも今夜は幾分興奮気味でステップを踏んだり、滅茶苦茶ダンスをしたりしてみたが12時。カボチャになって帰る。

転載以上

出典:oteさんの「父娘スペインを歩く」

ついでに、oteさんのブログの紹介も
スペイン旅行の記事などいろいろあります。


村のマヨール広場に2日間だけ出現する闘牛場。
初めて見たときは、わたしもびっくりでした。
観客も闘牛場内に入って、ちゃちゃ入れたりするですから。
小さな村だからこそ、の闘牛だな、と思いました。

参考記事
8/16・17午後6時 闘牛
8/17 子供用牛追い
8/16 牛追いと闘牛


シエラ・デ・フランシアの村の中には、常設の
闘牛場がある村もいくつかあります。
サン・マルティン・デル・カスタニャル、セケロス。

ミランダ・デル・カスタニャルなど。




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